昨日、以下のような記事を読んだ。
「いつもお声がかかる人」の共通点 必須の〇〇力を磨け
先に答えを言ってしまうが、○○は「壁打ちディスカッション力」という言葉が入る。
相談をして「答え」をくれる人ではなく、
「熟考するヒント」をくれる人が貴重になってくるという話だ。
球技でいう壁打ちに例えられている。
私自身、高校時代にサッカーをやっていたので壁打ちの楽しさはよくわかる。
放課後の練習が終わってプールの壁に向かってただ
ボールを叩き付ける瞬間が楽しかった。
表向きは自分のフォームを正すため、という理由だったが、
自分のフォームなど自分の頭の中になかった。
「自分は何が嫌いなのか」
「自分は何が好きなのか」
「大学生になったらどんな生活がしたいか」
自分のなかに意識を集中できる時間だった。
今考えるとあれも一種の瞑想だったのだろうと思う。
大人になった今、ボールを持って出歩くことはなくなったが
ブログが私の「壁」になってくれている。
本一冊を紹介するにしても、裏紙一枚にココロを書き並べる。
「自分はどこに興味をもったのか」
「印象に残った言葉は何か」
「誰に紹介したいか」
「どの経験が私をそう思わせているのか」
自分に問いかけ、
自分の中から答えを出す。
言葉はボールなのだ。
ブログは壁だ。
自分の心が思わぬ形で出てきたとき、
他の何にも替えられない楽しさを感じる。
だから私も今日もブログを書き続ける。