荘子 雑篇 (中公文庫) 荘子 (著), 森 三樹三郎 (翻訳)

はじめに

外篇に続き読み進めたのが雑篇。
外篇は人がテーマでしたが、本篇は政治や荘子の死、無の概念など、
より壮大なテーマにに言及しています。

内容: 孔子vs荘子 で荘子像がよくわかる

道家で言うと、有名・人気共に筆頭にあがるのが孔子ですが、
本書ではところどころで荘子(または老子)が孔子をディスっているシーンが印象的です。 
 ※荘子は別に孔子を否定していないそうですけどね@史記より

道家としてひとくくりにされがちな孔子・荘子・老子諸々。
全く対照的な考えを持っています。

荘子が無為自然を唱える理由

そもそも荘子はなぜこんなに自然を重んじるんだろう?
この明確な答えが第二十六篇に書かれていました。

すべての自然の道は、ふさがることを欲しないのである。ふさがれば、つまって通らなくなる。つまって通らなくなると、すべての機能が停止する。機能が停止すれば、多くの害が生まれてくるのである。

第26篇 外物篇より

孔子が道徳を説いて回っている様は、まさにこの自然の道をふさぐ行為だとしています。

孔子が政治家になったらどうなる?

孔子は道徳を説き、国政への参加を臨んだものの、ほとんど実現できなかった人でした。彼がもし政治家になり、儒教を推し進めたらどうなるのか?というテーマで問答しているのが第三十二篇です。

孔子はきっと自然のままの鳥の羽に人口の飾りをして色彩を施したり、職事にあたっては表面のことばだけを美しくし、枝葉末節のことを眼目におき、人情の自然を無視したことを民に教示し、しかもそれが天道の道にはずれていることに気づかないでしょう。

第32篇 列御冠篇

チョット孔子さんが可哀そうな気もしますが。。
悪事を働くのはダメだけど、
善事(道徳)を広めることも自然に反していてダメだという考えは、
けっこう斬新に思えませんか?

まとめ

普通に生きていると、自然を滞らせることばかりですね。
自然のままにいきるという思想には、不思議な魅力を感じます。

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